長い休校状態が続いたことで 心の不調を 訴えてきた子どもたちの本音

そんな子どもたちの本音を 少しだけ 代弁しますね

思えば 学校再開まで 長い 長い道のり でした
2月半ば頃から 不穏な兆候が静かに流れ始め その兆候は具体的な取り組み「自粛」「閉鎖」「休校」「テレワーク」といった形として どんどんどんどん 現実のものとして 子どもたちの生活に 押し寄せて来ました
新型コロナの第一報が届いたとき 私の所属する研究所では「これで 東京五輪2020はないな」という声が全てでした

想定力 推察力 洞察力が あまりにも弱いと 人は 無駄な労力を必要とすることになる。。。 
つまり・・・?
決定が遅れていく弊害は 加速度的に社会的弱者を追い詰めていく という意味です

3月、4月、5月そして6月と 指導者・管理者・為政者達の決定は あまりにも遅く お粗末でした

日本という国が ここまで情けない国 実力を失った国だとは 正直思っていませんでした
そこは 私の恥ずべきところ あまさでした
これは 研究所内全員の思いでもあります

あいまいを美徳と呼び 
はっきりものを言わぬことを遠慮、謙虚さと呼ぶここの国において
ここまでの大事件を前にしてまでも 優先順位の判断にためらいや遠慮が優先してしまう
そして 他のところはどうしてる? 他の県は? 他の国は? そんな視点でしか物事を決めきれないことに ただただ 愕然としました

新型コロナウイルスが 世界各地に広まった!というニュースは 世界同時に発信されましたよね?
日本だけが この情報を知らなかったということなど 断じてなかった ですよね

今から述べることは 流行の兆しの見えた段階で 本室から発信したことですが
新型のウイルスということは
人類は 誰も「抗体」を持っていないことを意味します
そして それは 予防ワクチンが まだないことと
さらには 強烈なウイルスに感染したとき 体内でそのウイルスが急激に増殖することを ガツン!と抑えてくれる特効薬も まだ開発されていないことを意味します
最初に 国中に発信すべき情報 国民が共有すべき情報は それだったはずです

その理屈がわかれば 人々の流れも 物の流れ(物流)も  地球単位で いったん止まるしかないことの意味が 子どもたちにも わかりやすかったと思います

そこを念頭に置けば 卒業式はどうなるか 入学式はどうすればいいか だけでなく 
大人の社会での経済活動をどうしていかなければならないのか その答えは 極めて単純にして明快だったはずです
少なくとも マスク何枚を全世帯に配るか?なんていう問題で情報が混乱することもおさえられたはずです

決めること自体に覚悟がないから おどおどとした「ためらい」を生み 判断・決定を遅らせ続けたのは 大切なことを「決める」ということをしてこなかった人間が 組織のトップに 年功序列のように立てる社会であったからでしょうか

経済的損失を考えれば 軽々には決められないことなんだ!という言い訳を 彼らは 本気で言っています
学校で言えば 勉強の遅れを考えれば 軽々には決められないんだ!となるのでしょうが どっちも 違うでしょ!と言いたくなります

組織のトップに立つ者の一番の役割は「決めること」です
他所のようすを見てから・・・という基本的な思考回路しか持たない「責任者」に多いこと この国にいかに多いことか それが判明した今 
民間は民間で やっていくしかない!と 民間のトップはもちろん 個々の民間人の圧倒的多数が もの凄くはやく 判断・決断し始めていると思います

学校という社会1つをとってみても 私立と公立の取り組みに対する「スピード感」の違いは明白でした
ということは 私立にできることは私立(民間)に任せ 無理に税金立の公教育を維持していく必要性はないのかもしれません
もちろん 私立の教育が全ての子どもたちに行き渡ることが絶対条件ではありますけどね
その方が 教育サービスの質はあきらかに向上するということが 今回の騒動でハッキリしたように感じます

子どもたちの そして 保護者さんたちの具体的な不満とは・・・
3月、4月、5月中旬まで 本県の小学生、中学生、高校生の生の声を 保護者の悲鳴を 本県の教育行政者は 直接 聴くべきです
彼らが この間 どんな生活をしていたか
コロナ問題で仕方なかった・・・?で済まされるのでしょうか
私立の学校の取り組みとの差異は 既存の施設だけが 原因なのでしょうか
そこに はっきりと 応える義務と責任があると思います
だって 公教育の責任者だからです

見える形で 子どもや保護者(家族)に わかる形・届く形では 何も手を打てずにいた2020年の春の取り組みを きっちり説明すべきです

できることはやった? それは 専門家には 許されないことばです
でき居る範囲の全てで 何を どこまでやったのか
私立の学校とに違いが出たのはなぜか 
逆に 公立学校のすごさは この2ヶ月半の間に
「先生達は 毎日 学校に出勤し ここを こうしていました」
だから
「先生達は こんなに君たちの役に立てた2ヶ月半だったんですよと」と はっきり 伝えるべきです

就学前の乳幼児の保育・養護の時空は こういう根拠で 保障されました
学童期でも 学童保育の時空は このようにして みなさんを迎え入れることを続けることができました
私塾や私立学校は ここをこうやって 学びの時空を確保することに 全力を果たしてきました
いっぽう 公立学校は 何が どうだったから それはできなかったのですと
行き場をなくし続けた子どもたちに そして その親さんたちに 具体的な言葉で説明をすべきです

わたしたちは 2月の段階で 真剣に その後の善後策を練っていなかったので 最終的には 校内勤務は続けながら 児童生徒のみなさんに いったい何ができいるか 年間の指導計画をどうのように作り直していくか 3月のやり残しと学校再開までの教育量の時間的帳尻合わせを 年間指導計画表の作り直しに躍起になっていたか と ハッキリ伝えるべきです
その上で 学校再開を待ち望んでたのは みなさんと同じですが 具体的な想定ができていなかったので 全てが 後手後手になってしまいました と 公教育機関(税金立学校)の想定力のあまさを はっきり 言うべきです

新型コロナの感染者が 出たときに 先を読める指導者が 学校のトップにいたならば 絶対に「これは 長引くぞ」と すぐに準備に入れたはずです
公立には 多くの縛りがあるから・・・というならば それは 平時のときに撤廃しておけるよう準備しておくべきだったのです
そんなのは「結果論だ!」という現場の声が聞こえてきそうですが 教育って 過程も大切ですが 結果も大切って みなさんいつも仰ってたじゃないですか?

最後に ひとつだけ・・・
「今後の課題です」「これから検討します」とい返答に終始していた教育行政のトップのインタビューをテレビで聞いたときに
平時に備え 異常事態には具体的に対応できる者がつくべき席に 身を置いておいたご自分のことを この人はいったどう評価しているのだろう?
この人の自己評価は 教育行政のトップとして いったい何点をつけるのだろうと思いました(最後の自己採点の件は ある高校生の言葉そのままです)

終わりの見えない休みの中で たまの登校日があると 前回の課題のチェックと新しい課題を持たされるだけという現実に 相当な嫌気がさしてきていた子どもたちの思いを 代弁して ちょっとだけ 長めに呟きました。。。