それぞれの気持ち-④

・・・つづき・・・

それからのAさんは 学校から発信される進路情報に 気持ちを乱すことは すっかりなくなりました

ただ 入学当初に「何か 違う」と感じていたもう一つのことが その後の彼女には大きな課題となっていくことになっていくのでした

高校に入学するまでのことは ほとんど記憶が無い と 彼女は 言っていました
もちろん 記憶としてはあるが 気持ちとしての記憶はなにもない そんな感じです

また
小学校の頃の記憶よりも もっと幼かった頃の記憶 ・・・ 
毎日 どろんこになって遊んでいた「こども園(保育園と幼稚園が合体した感じのところ)」時代のことは 気持ちごとよく覚えているんだ と 話していました
とにかく楽しかった
昨日と今日の境目がないくらい 楽しかったことを覚えてるし 難しい気持ちや嫌な気持ちになることも 全然なかったと 一人 回想するように話していました

気持ちに変な感じの引っ掛かりを覚えたり なぜそうなるかな~? みたいな気持ちが多くなったは 小学校の4年生くらいからだとカルテには残っています

その頃から 心の自由は消え 意思を隠し 本音は伏せて 集団の中で過ごしていた・・
結局 自分を隠して みんなや先生に合わせることで 自分を出さないように注意するようにやっていた気がする
そんな学校生活が 具体的な気持ちとして 苦しいなと感じる それをはっきり自覚できたのは 中学2年生だったと話してくれました

彼女の主張はこうでした 目立ってはいけない そこには2つの意味がある

1つは 前に出たり正直な意見を述べたり 先んじたり 先生と向き合ったり そのような積極的な態度は目立ってしまう これは回避すべきという 自身の直感が そう話しかけてきたそうです

もう1つは 隠れすぎるのもいけない 目立たなすぎるのも目立ってしまうからダメということも 理解したそうです
できないふりは許されないが でき過ぎると 陰湿なLineが回ることになる
他の人同士のぶつかり合いやそのとばっちり こんな幼稚な場所からは 1日もはやく抜け出したいと思うようになっていたそうで その抜け出す先が「高校」だったようです

このようにして はじまった高校生活は イメージしていたものとは あまりにもかけ離れてたものだった・・・と彼女は ゆっくりと 時間をかけて 話してくれました

それが 彼女が高校2年生の秋 Aさんと本室が出会った日でした

「なぜ 人は連むのですか?」
「なぜ 人は一人で行動しないのですか?」
「行事に 積極的になれないのは悪ですか?」
「大学は 学びたいことを学びに行くところではないのですか?」
「難易度は 価値の指数なのですか?」
「わたしの通う高校には 〇〇大学出身の先生が何人いますか?」
「自分たちが通ってもいない大学群を なぜに あんなに 引き合いに出しながら 私たちに強い口調で 今の学習への向き合い方に意見してくるのですか?」
「わたしたちを 受験生という1つの括りにしているように感じてしまうのは 私が 歪んでいるからですか?」
「私が 独りと感じるのは 学校で一人で行動しているから? そんなはずないですよね?」

彼女の落ち着いた口調での質問は 静かに続きました

私の返答を 静かに 丁寧に 慎重に 時には 怪訝そうに また 時には 強く頷きながら 「聴く」ことも 「訊く」ことも できる17歳でした
ただ それは 彼女が どれほど迷い 苦しんできたか それが とても伝わってくる時間でもありました

彼女が 真っ直ぐに聴く人だということは 最初から感じていましたが 来談を重ねるごとに 訊くことも 真っ直ぐに なっていきました

言葉を慎重に選びながら ゆったりした口調で 確かな話し方 聴き方ができる人へと 驚くほど成長していったと思います

進路に関する学校からの情報は 音声として流すにとどめ あくまでも自分のペース 自分の考えを優先することにしましょう♪ ということで 完全に 落ち着くことができました 
ただ 問題は 同じ年齢の人たちとの距離感でした

自分の意思は はっきりしているときこそ 自己主張避けることが 脳の癖のようになってるようにみえました
加えて 一人でいようとすると 必ず干渉してくる人が多いことも苦しかったにちがいありません
全体的な雰囲気・無言の圧力の中に 「女子の中の連んでこそ・・・」という 文化が とにきかくきつい と 話していました

私は そんな同調の文化の上に立つ価値観を 1つ1つ壊していくことに時間を使いました
協力とマイペースは 時に両立することを 強く伝える必要が ありました

意味のある目的があるときには その手段の1つとして「協力し合う(力を合わせること)」があるということ
しかし 協力の精神=力を合わせることではないこと ましてや 協力の精神 と 時空を共有する 一緒に居ることは 全く別であることを 伝えていきました  
側面からできる協力もあれば 後方からの応援もある さらに言えば 集団が目的を達成できるよう 静かに見守るだけでも それは 協力であること 顔の見えない協力があることを 伝えました

その頃からだと思います  Aさんの強さは 少しずつ増していきました

一人だから独り と 捉えるのは的外れであること
五人でいても独りのほうが はるかに孤独であり 残酷であること
自らの意思で 自分にあった過ごし方として 一人を選択することは 大切な選択肢のひとつであることを はっきりと伝えられたのは 彼女が3年生に上がる春でした

その日の彼女の反応をそのまま書きます

「先生・・・今日の話 すーっと入ってきた」

「えっ? 何の話?」

「五人だけど独りって感じる方が 孤独だよね」
「もっと 言えば 一人は 独りとは 違うってこと」
「めっちゃわかるというか とにかく ストンってきた」
「私 もともとさびしくなかったんだと思う その正体が 違和感?」
「なんか 今 はっきり それが 見えた気がする」
「私のまわりに居る人の中には たまたま 近しい感覚の人が居ない・・・それだけのこと ってことでしょ? 」

「そういうことですね」
「17歳で そこに気づけたのは これから先を見つめるための大切な条件の1つかもしれません」
「自分らしく生きるために 一人でいる時間を長く持つことを恐れないことでこそ 
逆に 一緒に居たいと思える存在に きちんと気づけるかもしれませんものね」

この日をさかいに 彼女のマイペース力は 強さを増していったと思います
そして ついに 真剣に 大学で学ぶことの意味を考えられるようになり 学びたいと思える学問領域への多くの情報を得ようと 本室への来談目的は どんどん 変わっていきました

その日の来談カルテには「新たな強さを見つけた瞬間」と記してあります

しかし ここからも また Aさんの悩みは続きます

やりたいことが見えてこないということと 大学の中身をあまりにも知らないという 2つの焦りが 彼女を苦しめることになっていったからです

つづきを そろそろ 2年半ぶりに 書くかもしれません