個人の尊重 ≠ 個性の尊重

(以下 若干 書き直しversion)

タイトルに深い意味はございません
ただ ときどき考えるんですよね
この2つは同じではないはずなのに 社会ではごちゃまぜにして使われているというか 混同されたり 混乱を起こしたりしているように思えてなりません

えっ?それだけ? って言われそうですが はい それだけです

でも このふたつが 混同され 混乱しているせいで 多くの少数派の人々が ボコボコにされている事実を よく耳にします
これは子供の世界も 大人の世界も 同様です


全然 わかっていないのに わかったふりをして わかったつもりで 教育や保育に携わってる人たち 

また 保教育者を育てている専門家という立場に いつの間にか就いておられる方々。。
みなさんの罪は とてつもなく大きいんですよぉ~!って 大声で叫びたいくらいです。。。(別に 叫びませんけどね)

それは 保教育の場だけではありません

大人が働く場も含め どこもかしこも 根本的には変わらないということが この国では 起きている それが現状で
ある学校では 600名の在籍のうち約10%が「登校拒否」まれに「不登校」の状態にあります

「適応障害」に追い込むケースが これほど出てきても 広い範囲での教育の在り方・進め方について 決して根本的かつ抜本的な見直しはしない それどころか 見直しという発想さえしようとしていません
ただ どう考えても ふざけてるの?としか思えないことの1つに 多様性を認めましょうだの 対応の多様化を進めますだのという文言は踊っています
どこで見かけるかと言うと 学校からの通信的なものの中にたくさん出てきています
そのこと自体 絵空ごとというか 所詮他人事的なものに感じている「生徒」や「保護者」は たくさんいるということを 知っておいてほしいです
そもそも できないことをやりますと言い やってはいけないことをたくさんしているから 公式発表でも30万人(実際にはまだ多い)という子どもが 不登校と言う名の「登校拒否」「入室拒否」状態になっているのでしょう

日本は 1世紀弱もの期間 義務教育の抜本的な見直しをすることもなく 小手先改訂 具体的には10年単位での学習指導要領の改訂を 新しい教育観と称しては
全国の実践家(教職員)に対し 伝達講習会を開いては ただただ広めていくという手法をとることで これで 全国どこにいても 等しく同じ教育観と内容・方法で教育をうける権利が保障されていると謳っています
これって 言い換えれば そうではない教育を受けられる場は どこにもないということだ!という声が 現場からは全くあがらないのは どこに原因があるのでしょうね???
「経験」というある意味不確かで 危うくて なんの科学的根拠もないことが重視される場になってしまう構造が どこにはあるからに違いないと 私はみています

学校文化 職員室文化 教職員の前提 みたいなものに疑問や絶望を感じ 傷つき離れていったみなさんは どう思われますか?

保教育を受ける本人たちの中に 明らかに犠牲者と呼ぶ状態に陥っているケースを数多くみてきました
彼らの そして 彼らの保護者さんたちの声は 複雑です
ただし 犠牲になっているお子さんたちが 学びの場をチェンジすることは そう容易ではありません 
それは 高等学校においても同じで 何かに踏ん切りをつけ 学びの場を変えるというのは ある意味大きな勇気が 必要です
これが 全国的に起きている「教育界の最大の問題点」なのですが そこだけには決して行政は手をつけようとしません 政治も同様です ケースによっては 司法も逃げ腰に見えることがあります(司法は判例で逃げ 行政は法律に逃げ 政治はそんな声が届いていませんと逃げ・・・なんなん?❓この国)

悪政が度を越したときに 一揆が頻発したことがあると 歴史から学びました しかし 一人だけでは 子どもだけでは 一揆も起こせないよなって 思ってしまいます
あ~あ 泣きたくなってきます 無力感の波ばかり・・・

個人の尊重 ・・・ 個性の尊重 ・・・ 特性の理解 ・・・ 特性への配慮 ここらへんのバランスの悪さは どこからくるのでしょう 
その統一性のなさは 実践家の人一人の個人の判断に任せられているからなのか?と詰めたくなる その背景には いったい 何があるのでしょう???

やはり ひとつしか考えれません 

「根拠なき教育」「根拠なき理解」「根拠なき支援・配慮」

それだけだと思います
だから 根拠に基づく教育改革に着手できないのでしょう たぶん・・・

保育も教育も 科学的な根拠に基づいたものでなくてはなりません 
それなのに 科学でも何でもない 各自の経験に判断を委ねた「よくわからない」「統一性のない」ことが 実践されているのですから こんなにも生きにくい・生活しにくい 人たちが 不当に苦しむことになるのでしょう

それと現実的な大問題として もう1つあります
なんだかんだと 組織力を背景にした 不確かな人事のなかで ず~っと 現場または 現場付近から 去ろうとしない人たちが たくさんおられますが この◯下り方式にしか見えない「余人をもってかえ難い」という名の不透明な何か・・・
そんなことをしていたら 若い実践家からの新しい風も入りませんし 今に合った教育観を学んできた学生の受け入れも狭くなります

こんな負の連鎖がなくならないのは 一部の人たちの「仲良しこよし」の不確かな人事がまかりとおる そんな組織を創り上げた人たち 
そんな人たちが当然のように その組織の中心にいても 絶対に淘汰されない「変な仕組み」が ず~っとあるからなのでしょう

本当に 嘆かわしいことですが みなさんそうは思われませんか(-_-;)

2024年 睦月 Brain Mental Laboratory こころの相談室 一同